○○と、僕

日々思うことのつらつらぶろぐ

肯定と否定と、僕

昔から思ってる事の一つ。

 

自分を肯定するのって難しい。

 

肯定できない理由は、いろんな要素が合わさっていると思っている。
ひと括りに「こうだ」とは言えないが、僕自身のために思う事をここに記しておこう。

 

肯定できない事の一つとして、他者への比較・劣等が挙げられる。

 

足らない(と感じている)自分と、
足りてる(であろう、あるいはそう見える)他人

 

「あの人は○○で羨ましい(ぼくにはない)」
「あの人は△△があるから凄い(ぼくにはない)」 など

 

 

見聞きした環境が全く違う他人と自分を比較したところで何も生まない。
少なからず歳を重ねてきた今は、それを自分の中で理解吸収できているが若い頃は足りていないように感じる自分自身が酷く嫌いだった。

 

23歳くらいの頃、僕はほぼ毎週クラブに遊びに行ってた。
遊ぶ連中はDJを生業としている者、医者、保育園の園長、コミュニケーション力がずば抜けて高い友だちの多い奴、家の仕事を継ぐ人、バックパッカー、教師 等など。
あの頃遊んでいた人達は本当に多岐に渡る職種の人達がいて、周りの人たちが輝いて見えていた。そして音楽にとても詳しい人達ばかりだった。当時はゴアやテクノが流行っていたのだけど、数多あるアーティストの曲から新譜まで皆本当詳しかった。自分も齧ってみたもののそこまでの熱量は無かった。
こんなにも週末クラブに行ってるのに、そんなに曲を知らない。。。
それが余計に自分には何もないと感じさせていたのかもしれない。
仕事にも就いていたものの、将来の展望も特にないままだったので漠然と自分には何か足りないと感じていた。


本当は考えねばならない大切な事があったのだけど、それをかき消すようにクラブに行っては爆音に身を任せ酒を浴び、ベッドに潜る頃に襲ってくる虚無と焦燥を誤魔化し眠りにつく。それを毎週繰り返してた。
時間だけ無駄に過ごす感覚を覚えながら。

 
「あの人の方がいい人生を歩いている」そのように思いだすと途端に視野が狭くなる。置いていかれてるような感覚。
自分の人生がつまらなく感じる感覚。
暗闇に一人光を探しているような感覚。


だから25歳の時に一人で海外旅行に行った。何かしたくて。

 

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ラスベガスでカジノして、グランドキャニオンを見て、一晩荒野を運転しモニュメントバレーを見に行った。
で、勢いでタトゥーを入れた。

 

勢いで行った海外旅行は日本に帰って来て僕の人生を大きく変えた。

 

 

何も無いなら、何も無いでいいや。
自分が思うように進んでいけば何か見つかるかもしれない。
見つからなくても進んだ事実はある。前には進んでいる。
何も無い自分を認めよう。
人と比較する事をやめよう。
時間を無駄にするのはやめよう。と

 

東京行きを決めたのもその頃。
若さって、勢いって怖い。笑

 

 

 

 

自分への鼓舞として高みを目指す形での他人が存在しているのであればまだいい。
ただ、他人と比較する必要はない。

 

痩せたい、身体鍛えたい、人気者になりたい

 

痩せてないのも、鍛えてないのも、人気がないのも全て自分の結果なだけであって、そこに他者を並べる必要はない。他者を絡めるのは自分への言い訳なだけだ。
また、自己否定をする事で防衛できる何かは、今後足枷となる事が多い。
と思っている。

 


少しでも、1歩でも、自己肯定力をつける事で人生が楽しくなる事をもっともっと自分自身に言い聞かせていかねばならんと強く感じるのでした。
写真の整理をしていて出てきた思い出達を消化+自分を肯定していく事を止めないようにする自分のための日記でした。

 

 

因みに僕は肯定6.5、否定3.5位の割合かな。笑

 

 

 

 

※タトゥーはトライバル
 炎のように強く

(横から見たら)雲のように優しく。

という意味を込めて入れました。