○○と、僕

日々思うことのつらつらぶろぐ

15と44

先日誕生日を迎えました。

44歳。エグい。自分が44なんて。笑

 

40代を過ぎたあたりから自分の考えも随分と良い意味で緩くなってきた気がしている。

 

とどのつまり、「人は人。自分は自分」
至極当たり前なんだけども。

 

辛い時やダメになりそうな事があったら寄り添ってくれたとしても、誰も僕の人生を肩代わりしてくれるような事はない。
数多ある人生の道を決めて進むのは自分しかいないということ。
至極当たり前なんだけども。

 

例えば悲しい事があった時、それを抜け出す方法を見つけるのも自分だし、抜け出さずに悲しみという感情に支配されてしまったままにして「ほら、可哀そうでしょ」と他者へ同情を求めたり弱い自分であることを見せるのも自分。
それ自体が良い悪いはないので好きにしたらいいと思うんだけど、『その先』にあるものが自分にとって幸せと感じれるのか?そういう事を楽に考え、選べるようになった。感じかな。至極当たり前なんだけども。笑

 

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行き慣れていない『お上りさん』が否めなかったけど本当どれも美味しかった。これから好きな食べ物を聞かれたら「鉄板焼き」と言おう。また行きたい。

 

他にもお友達にも沢山お祝いして頂きました。

ありがとう。

 

 

 

それから。

パートナーと通算15年目を迎えました。
(一時期、別れていた時期もあるので通算、です。

 

今年もお互いに無事健康に迎えられました。

 

僕は『人嫌いの人好き』なところがあり、面倒な性格。
恋人ですら疎ましく思う事もあれば、心底信用しているかと言われると正直難しいところもある。15年も経っているのに。ただ、何年経とうが自身の根底にある性格はなかなかに直せない。そういった面も含め受け入れてもらえてる数少ない理解者。

 

若き20代半ばから少し気楽に人生を楽しめるようになった40代までを一緒に過ごし、付き合いの年数を考えるとこの先を「楽しい」だけでは過ごせなくなってくることも頭のどこかで理解しつつ、今は一緒にいる事の貴重さを大切に噛みしめながら日々を過ごしていきたいなぁとそんな風に思うわけです。

 

 

 

夏の暑さも随分なくなり秋へと季節が変わってきた。

肩に力入れず、のんびりと、でもしっかりと、『一度きり』の人生を楽しめる自分でいましょうや。