○○と、僕

日々思うことのつらつらぶろぐ

一人時間と、僕

僕は良くも悪くも然程、人に興味がない。


前回の日記では人の輪に感謝してたのに、すげぇ真反対の事書いてます。笑
興味がないというか干渉しない、という言い方の方がしっくりくる...かな。
あ、先に言っておきます。興味がない=嫌いではないです。

 

人は人。自分は自分。
という感覚が沁みつき過ぎているのだと思う。


一人っ子だったからなのか、小さい頃から一人でいる時間が好きだった。外で大勢で遊ぶより室内で黙々とゲームしたり本を読んだり昆虫図鑑を見たりシルバニアファミリーで遊んでいるような子だった。今でいう隠キャ?笑

大人になる頃には干渉されない時間に気持ちをアウトプットしたり、今欲しい情報を自分だけで探したり、行きたいところに行く、見たいものを見る、読みたいものを読み、食べたいものを食べる。そういう時間の使い方が自分には欠かせない時間へと変わった。
一人時間が多いと「友だちが少ない」と言われる事もあるが勿論友だちはいたし今もいるので僕は別にそう思わない。そんなの人それぞれだしね。

ただ、一人時間が多いせいか自己完結の癖がついていて、人との対話の中でヒートアップすると思った事を口走ってしまう傾向がある。所謂「言わなくていい事」を言っちゃう。で、どうなるかっていうと一人反省の時間(=凹む)へと突入。
自分の至らない部分のアレやコレを引き出しから引っ張り出し、頭のそこらじゅうに広げ「あぁ!自分はなんて奴なんだ!」「なんであんな事言っちゃうんだ!「人と向き合うのが下手過ぎなんだよっ!」「馬鹿野郎!」となる。おまけに過去の小さな失敗まで引き出しから広げ項垂れる。

もう一つは人に期待しても仕方がないという思い。
蹴落としたり、優劣をつけたり、裏切ったり。
人は自分が一番可愛い。浅はかで愚かで汚い。それが人間の本質だと思っている。
無論自分にもそんな部分があり、皆そういう部分を持って生きてると思うが、友だちと思っていた人のそんな愚かで浅はかで汚い部分を見聞きすると、変な落胆を覚えてしまう。「嗚呼....そんな人と思ってなかったのに」と。必要以上の期待をどっかでしてるんだろうな。で、疲れ果て結果一人でいよう、となる。笑

 

こんなに書いておいて言うのも変だけど、大人数で行動するのも嫌いではない。旅行とかイベントとか飲み会とかね。ただ、神経質な性格がひょこっと顔を出し『無意識』に気遣いをして『勝手』に疲れる。≪一人時間多い人あるある≫のような事もたまにあるけどそれでも40歳を過ぎた今は幾分か大勢の中でいる『自分』を見つけられてきて、歳取ると楽になるってよく聞いてたけどちょっとわかる気もするなぁ。
何の技量も学も無いけど無意識でも人に気遣いができる自分は嫌いではなかったりもするんだけども。笑

 

そういう思いを幾度として重ねてきた結果、一人時間は自分的に生きやすいと行き着いたのだと思う。

 

で、何が言いたい日記なにかっていうと、人それぞれって事。なんだそれ笑
(ぶっちゃけ、自分の事を書き綴って疲れてきた。笑)


一人時間を楽しむ人がいるように、大勢でいるのが好きな人もいる。
復縁する人もいれば、別れた相手と二度と合わない人もいる。
愛が重要な人もいれば、セックスが重要な人もいる。
恋人と同棲する人もいれば、友だちとルームシェアする人もいる。
学歴重視な人もいれば感性重視な人もいる。
黒も白もグレーもライトグレーもオフホワイトもある。

答えは人それぞれであって、第三者が決めるものではない。

この1年の中で、生活を大きく変えていった知人も友人も少なくない。
引越し、転職、交際、死別、等々。
どの判断もその人が決めたのだから他人がとやかく言う権利はない。
(こういうと驚かれるだろうが例えそれが自決だったとしても、僕はそう思います。
この話は重いので別の機会に...)

人は人。自分は自分。

一見冷めた感情でもあるんだけど、自分が良いと感じる生き方をする。
一人時間が大切な自分はそれを大切に。違う生き方をしている人を批判や蹴落とさず、受け入れる心を持つ。アリエル(エルサだっけ?)も歌ってたけどありのままで生きている自分でありたいし、そういう人を見守っていける人でいたい。深入りし過ぎず。
干渉せずに。でも、人との繋がりは大切にしながら。
その結果人に興味ない奴と思われても。

 

最近のいろんな出来事を自分なりに思い返した時に、僕はそう行き着いたのでした。

 

毎回こんなに綴ってたら疲れるな。笑
でもこのブログでは自分という中身を知ってもらうためでもあるし...
もっと語彙力があれば簡単に書けるんだろうな.....と、反省時間突入しそうなんで飯食ってきます。