今年は良くも悪くも人の言葉がよく響く年だ。
ここでの響くと言うのは、普段であれば通り過ぎてしまう言葉が妙に自分の中に留まっていたという意味での響くということで、全ての言葉に感銘を受けた。とかではない。
こんなご時世になるとは想像もしてなかったが故に、自分とは何か?他人とは何か?という自他認識に揺らぎが生じた...というか、改めて考えさせられたような気がする。
SNSにはその人の人格を含めた言葉がずらりと並ぶ。
例えば不倫、自殺、黒人差別、某スポーツメーカーの反日CM、どこかの区のLGBTに対する発言...etc
対外的に私見を発言することはある種、自己存在意義の確認をしているのだと僕は思っている、そしてそれ自体は時と場合によっては悪い事ではないと思う。このブログも同じようなものだ。
ただ、差別等に対し声高らかに発言している人をみると「あぁ...」となる。
繰り返される歴史の中に刻まれ、そこに根付いた過去の経験から見える当事者としての世界。
経験ではなく世間一般的な「善悪」だけで判断をする未経験者から見た世界。
所謂、多角的視野を持ち合わせていないのか、はたまた発信時にはその考えを省略しているのかまではわからないが、調べもせず私見だけで発言しているとすると
その発信は責任を持てる発言なのか
そう思う場面が今年は非常に多かった年だと思う。
良かれと思った事の反対側にはそれを悪く思う人もいる。逆も然り。
世界は多角的であるからこそ、私見を発信する側になった時にはその言葉に責任を持てる事しか発信をしないように決めた。誰かの一言で救われる事もあれば地の底に突き落とす事だってあるという光景を今年のSNSはよく見た気がするなぁ。
とはいえ、自由なのがSNS。
好きな事や嫌いな事を呟き、誰かがそれに賛同し共鳴する。
見聞きして嫌な思いをするならミュートをすればいい世界が当たり前となっているからこそ自分の言葉には慎重でありたい、と未熟者の僕は思うのです。
なんだか僕がブログ書くと堅苦しい言葉で綴ってしまうな...
もっと気楽にパパっと綴って更新した方がいいのだろうか......悩むw